アルコール漬けのトロトロ脳

メンヘラらしく電波飛ばしていく

先生が大好きな女子高校生で居たかった

女子高校生の頃の記憶はぼんやりとしていてあまり思い出すことが出ない。きらきらとくだらない日々が輝いていた気もするし、反対に凡庸でつまらない日々の繰り返しだった気もする。友達と学校前のコンビニでプリンを買い「お行儀が悪い」と笑い歩きながら食べていた思い出を素敵ととらえるのかつまらないととらえるのかは個人の感受性の問題なのだろう。朝起き学校帰りに借りベッドサイドのテーブルに置いていた本だけは忘れないように朝急いで支度をし自転車に飛び乗り遅刻ぎりぎりの電車へ駆け込む。そして、電車で本を読むと酔うんだよなそんなことを思いながら本を開く。学校へ行くと大体先生に怒られるようなことを無意識のうちにしているので、パラレルワールド越しの自分の尻ぬぐいをするように先生の呼び出しに応じる。そのほとんどが忘れ物だったり課題の件や字が汚いこと、生活のことなど、とにかくたくさんのミス。その件についてごめんなさいをして教室で本を読む。悲しい気持ちの時はこのダウナーを継続すべき。だってハッピーな気分の時にはどうしたってこの陰鬱で素敵な時間は味わうことができないのだ。こんな時に開くのはランボウか長野まゆみ。私の地獄のような精神状態とマッチする世界観と、美しい言葉を作ってくれる人はなかなかいない。この二人の作品は重たいリュックに入れているからいつだって安心してその時の情緒のまま本を読めるのだ。逆にハッピーな気分はあしながおじさんハムレット。このハッピーな気分の時の本を読む行為は小学生のころから変わらない。今のところ本が変わる気配はない。これからもきっと変わらない。

そして授業の時間は世界にはまだ知るべきことがたくさんあると数学の教科書はお家から一回も持ってくることはなく本を読み知的好奇心の赴くままの大冒険をする。学校から帰れば馬鹿みたいな量の課題が出ているのでそれをこなす。レポート三十枚を手書きで教科書を丸写ししてくる。なんて非効率で意味もない作業なのかなと悲しい気持ちになりながら友達と通話をしてお互いに愚痴を言いながら課題を進め、寝る前に本を読み気が付いたら朝それを毎日繰り返していた。

 

木崎かなえのブログを読んで優雅な刑務所生活にほんの少し憧れを抱いたけれど。(ブログの書き方の話)私にはとてもできない芸当だった。なんてつまらない日々。それを美しく描写することなど私にはできない。

けれどそんな日の中にこそ確か空がきれいだったり、ネクターのおいしさに気付くことができたり他愛もない感動があったような気もする。